写真分析➁

 

 

11.栗林公園(2019.9)

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曲線性、色の独立性

 撮影から1年程度が経過し、ついに価値を見出すことが出来た写真だ。このように、ある時突然、魅力的になる写真がある。自分の感覚が写真を撮って眺める度に少しずつ変化している証拠だ。

 この写真を撮った当時は、錦鯉の色の独立性がどうとか、うねった曲線性が活きてるなあとか、そんなことは微塵も考えていなかった。それはつまり、この写真の美しさを説明する術がなく「写真を美しいと思うこと」ができる段階になかったということだ。偶然撮れた写真が突然美しく見える現象は、自分が美しいと思う要素が定まってきていることの顕在化なのだ。

 シャドウを始め全体としてはグリーン強めに調整しているが、そのお陰で補色関係にあるレッドとグリーンが共存し、錦鯉の朱色が独立性をもって散らばっている。赤い被写体を際立たせたい時は、補色である緑をベースにすると効果的だ。

 鯉の身体のしなやかさは他のどの生物よりも美しいだろう。良い写真とは、被写体の魅力を最大限に引き出している写真のことだと考えている。鯉がもつ一種独特の生態・特徴を捉えられている。グッド。

 

12.神宮外苑いちょう並木(2018.11)

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視点、直線性、余白の美、二色作用、ブルーのアクア化

 僕が写真の沼から抜け出せなくなったのは2018年8月頃のことだ。そして2018年に撮影して今でも素晴らしいクオリティだと思う写真は現時点で2枚しかない。そのうちの1枚がこの銀杏の写真である。

 僕には確固たる写真のスタイルがない。それでも「君の写真は君のものだと分かる」と言ってくれる友人がいたりする。「自分らしさ」の一つに、レンズを向けるときの視点があるのかもしれない。

 写真は銀杏の先端をとらえたものだ。ご存知の通り、神宮外苑のいちょうの木は背が高い。大きな被写体や構造物を撮影するとき、端の端を切り取るという視点。この視点をもって撮影することが、一連の流れの中に組み込まれている。最低限の要素しか残さないミニマル写真にほど近い、すっきりした画面構成が好きなのだ。

 真っすぐに空へと伸びる銀杏の幹の植物らしさ。縦長写真と縦に伸びる直線は悠々としたイメージを与えてくれる。インパクトのある写真。

 視点は大胆だが、すっきりとした印象を与えるのは色彩も影響しているのだろう。イエローとアクアの二色で構成。色相環において両者は近すぎず遠すぎずの距離感に位置しており、目に優しいコントラストを生み出す。構図(視点)と色彩という写真の二大要素から真逆のアプローチをし、「大胆かつ穏やか」な異色の一枚に仕上がった。

 

13.厳島神社(2019.3)

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日の丸構図、色の独立性

 厳島神社の大鳥居のように桁違いの存在感を放つ被写体を撮影するときは、余計なことは考えず、日の丸構図で撮ったらいい。

 写真は大鳥居が若干下方に寄っているが、水平方向の中心に位置していればそれは日の丸構図と呼んでいいと考えている。横に長いアスペクト比の場合は水平位置でどの座標に在るかの方が遥かに重要だからである。縦写真では垂直位置が重要性をもつことになる。

 【3.諏訪】でも書いたが、日の丸構図は鑑賞者に静謐で安定したイメージを抱かせる。日本神話の権化である厳島神社の大鳥居が軽く感じられないのは、日の丸構図の特性が働いているからである。

 言うに及ばないが、大鳥居の橙色が独立的であることで、より一層目を引いている。

 

14.淡路島(2021.3)

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直線性、多湿感

 淡路島で泊まった民宿の部屋で、朝起きてすぐに撮ったものだ。タオルが窓辺に干されているが、何故僕はこの風景を撮ろうと考えたのか。

 写真という平面的なモノを構造的に説明するならば、枠のなかに「図形」を並べて「色」を乗せた成果物である。この写真に潜む図形は四角形と直線。タオル、窓枠はもちろん、手形でボケたベッドの裾の直線部分があることで写真の各要素の一体感が生み出されている。そもそも四角形自体が直線の集合体であり、まとまりがあって心地いい。

 一方で直線性をもった写真は規律的で尖りのある写真になり刺激が強くなりやすい傾向にある。それを感じないのは多湿感のある色調に調整されているためだ。

 ハイライトにブルーを乗せ、雨天のじめっとした雰囲気を強める。壁部分を暗くするがトーンカーブで持ち上げて、軟らかくスムーズなブラックに調整。被写体がタオルやベッドといった布製のソフトな素材であることも、多湿感を表現するには最適だった。

 腕のある写真家は、撮影時に編集想定をするという。僕にはそんな器用なことはできないが、撮影では視点と構図に全力を注ぎ、編集で色調を整える。2種類の作業には、異質の楽しさがある。僕は“一度で二度おいしい”この過程が好きでたまらない。

 

15.直島(2022.8)

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視点、額縁構図、直線性、色の独立性、ブルーのアクア化

 この構図を額縁構図に分類していいものか、物凄く悩んだ。本来額縁構図とはメインとなる被写体に視線を誘導させ際立たせることを最大の目的として用いられるパターンが多いのだが、この写真においては、一概にそうとも言えないのである。

 手前の桟橋に架かる屋根と柱を写し込み、奥に客船が覗く。ここで着目すべきは、被写体が「額縁」の範囲外にも存在している点だ。船体の後方が額縁の左端から大きくはみ出している。額縁を突き破っている、という表現もできる。敢えて額縁を設定し被写体の一部を逸脱させることで、額縁がない場合に比べて客船の伸び感がより際立つ。さらに、額縁である桟橋屋根が右下がりの斜線であること、客船の進行方向が右向きであることから、右側への吸引力を持った写真に仕上がっている。鑑賞者の視線が無理なく誘導され、さらに額縁・額縁逸脱の効果で被写体が際立ったニッチな写真。ただ単に「額縁構図」を取り入れた写真ではないため「視点」を追加した。ナイスな視点に違いない。

 被写体を際立たせるという点で、船体模様の赤が独立性をもって点在しているのが良い。最も大きな赤いダイヤモンドが額縁のど真ん中に位置しているが、撮影した時に意識していたのか。バランスが取れていて、気持ちいい。

 

16.太宰府天満宮(2020.3)

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視点、セルフィ―、リフレクション、不完全性の美

 太宰府天満宮のトイレで撮影した、友人2人とのセルフィ―。大きな鏡があると、ついつい友人を集めて写真を撮ってしまう。いつもカメラを構えてばかりで自分の姿が写らないことに寂しい思いをしている男の、精一杯の悪あがきである。

 見れば見るほど面白い一枚。3人で撮ったセルフィ―に5人写っている違和感から沸き立つこの写真だけが秘めている魅力。角度をつけて設置された鏡の特性がそうさせた。

 友人達の目線が一定にならず散らばっている。鑑賞者の視線を誘導させづらいのかもしれない。しかしその雑多な雰囲気が、粒子感やピントの甘さからくる「不完全性の美」とマッチしている。

 

17.東尋坊(2020.12)

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人物と風景、余白の美

 写真における「余白」は、撮影者が撮影段階で意図して空けた空間のことを指す。余白の作り方がクオリティにもたらす影響力は甚大だ。

 写真は輝石安山岩の柱状節理で切り立った断崖・東尋坊で撮ったもの。メインの被写体となる人々を写真の最下部に設置し、奥に広がる日本海を余白として利用している。ここまで思い切った余白の使い方はあまりしないが、開放感をもった写真となった。若干横に長いアスペクト比に設定してあるのは、のびのびとしたイメージをもたせるためだ。

 しかしのびのびとしているだけでは東尋坊特有の危険性・不気味さが表現できない。構図で漏れてしまった部分は、露光量や色調で補うのである。ブルーのアクア化を選択せず、日本海を力強く見せることができている。

 かなりの広角で撮影されている。人々が小さく連なっており、細かな律動を感じられる。このくらい引きの画も好きだ。写真家・濱田英明氏のエッフェル塔から撮影された写真がずっと心に残っている。

 

18.小樽運河(2018.8)

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人物と風景、平面フレーミング、日常性

 大好きで大好きでたまらない写真である。【12.神宮外苑いちょう並木】で言及した、2018年の傑作の一枚である。写真において大切にしている要素のなかでも最重要と言える「人物と風景」・「日常性」を満たしている。ああ本当に好きだなあこの写真。

 小樽運河の倉庫沿いで昼間からお酒を楽しんでいる人々には、魂が宿っている。立っている人、座っている人、笑っている人、話している人。それぞれの人物が別の行為をしていても、その魂はすべて爽やかかつ温かみに溢れ、渾然一体となっている。それが【9.母子島遊水地】で説明した日常性として感じられるのである。その観点においてこの写真を超える写真は、僕の手持ちにはほとんど存在しない。初期の傑作。

 「人物と風景」が「日常性」をはらんだとき、最高の一枚が出来上がる。これがなかなかできない。人物と風景を対象に撮影しても、わずかでも作為的な意図が潜んでいたり、こちらに意識が向いていたりすると特別な一枚にはならない。ありのまま、それもラフで脱力感のある人々。これが最高。

 深く考えずとにかく真正面から風景を捉える「平面フレーミング」という構図も、作為性なく小樽運河のありのままを写している印象に繋がっている。日常性の演出に一役買っているわけだ。ああ本当にダイスキ。

 

19.名古屋スカイプロムナード(2020.10)

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視点、日の丸構図、リフレクション、不完全性の美

 窓に反射した照明を写した、主張の柔らかい一枚。この頃は、現在につながる軸となる写真のレタッチスタイルが徐々に確立されてきていた時期だ。日没直後のマジックアワー特有の淡く儚い空気感は、様々な要因が掛け合わさって生まれている。

 3粒のハイライトを小さく中心に置いた日の丸構図は静謐で安定した印象を与え、秋の夕方の少し冷えた寂し気な風情を強化している。

 粒子を全面的に乗せることでノスタルジーを演出。フィルムカメラ特有の粒子感は「グレイン」と称され、現像過程で出現するフィルムの醍醐味である。ちなみにデジタルで無理やり高感度ISOに設定した時に出る粒子はピクセル状の単なるノイズであり、円形のグレインとは全くの別物で欠陥である。写真が点の集合体である以上、グレインとノイズは月とすっぽんだ。

 この写真のように「何かに映ったものを写す手法」がリフレクションだ。昔は水溜りを低いところから捉えて夜景の反射を撮ったりもしたが、最近のブームは窓やガラスのリフレクション。多くの場合、粒子感やブレ感を含めた不完全性の美との相性が良い。別の物質を経由した光を捉えるというリフレクション自体が「不完全性」を潜めた手法であるためだと考えている。

 

20.小金井市(2019.12)

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視点、額縁構図、日の丸構図、直線性、ブルーのアクア化

 これは大好きな写真。一時期はPCのデスクトップ背景にしていたほど、気に入っている。その理由を挙げたらきりがない。

 額縁構図と日の丸構図が共存している面白い写真だ。フェンスを構成する菱形の格子が「額縁」としての役割を果たしつつ、そのうちの一つが写真の中心に位置し「日の丸」を成している。視線の中央への誘引効果が凄まじい。

 直線性に関しては言うまでもないだろう。フェンスとネットの各直線が約45°の角度で交差していることで規律性がもたらされ、見心地良い写真へと仕上がった。

 フェンスとネット越しに眺めた学校の校庭。どの町にでもあるような風景だ。どこにでも広がる風景を独自の感性で切り取ることができたとき、興奮する。視点が活きた写真である。

 分析をしていくなかで、自分がどのような写真が好きかが徐々に分かってきた。継続は力なり。絶えず分析を続けて、自分のフォトスタイルを模索、開拓していく。